ネルケ無方の処方箋

VOL.02 育てること、育つこと

 釈尊の教団には、提婆達多(だいばだった)という一人の弟子がいた。彼は釈尊のいとこで、ほかのだれよりも高い能力を持っており、真面目に修行に励んでいたようだ。教団の中には彼に憧れている兄弟弟子も多く、周りの人々からも釈尊の後には提婆達多こそ、その教えを発展し広く社会に普及させるのでは、と期待されていたと想像する。そして本人もついにその気になって、釈尊に言ってみた。

「ゆるい戒律を、厳しくしたい」

師匠に提案する弟子を、釈尊はどう受け止めたのだろうか。中道を説いていた釈尊は、その提案を聞き入れなかったそうだ。釈尊は修行の張り合いを弓の弦の調整に例えていた。緩すぎては矢が飛ばないが、きつすぎれば弓は折れてしまう。では、ちょうどよい張り合いは? そこには明確な答えがないため、仏道の実践者は昔から修行のさじ加減で四苦八苦している。ある人にとって緩い修行は、別の人にとっては厳しすぎる。皆が納得するようなチューニングは、なかなか難しい。
 提婆達多は結局、釈尊の中道で満足できなかったようだ。五〇〇人の兄弟弟子をつれて、教団を分裂させたと言われている。お経では大逆罪を犯した悪者として描かれ、生きながら阿鼻地獄に落ちたとすら伝えられている。ところが、法華経では釈尊を裏切ったその提婆達多ですら、ゆくゆくはブッダになるのだと説かれている。
 残念ながら歴史的事実は実際のところどうだったのか、誰にも分らない。だが、私が想像するには、師匠を超えようとする提婆達多を釈尊が「たくましい!」と思っていた側面もあったのではないだろうか。彼自身のそれからの進展に期待していたかもしれない。ただ、師匠を超える前には、提婆達多には自分自身を超える必要があった。中道を否定していた彼は、自己流のエリート集団を作ろうとした。しかし、どんなに厳しい戒律を自他に課しても、まず自我を手放すことから始まらなければ、意味がない。
 子供を持つ親は教育という壁に一度はぶつかるのではないだろうか。親を超えるような、立派な人間に育ってほしいと願っていても、なかなか思うように育ったないものだ。「いや、うちの子が…」とつぶやいている親自身も、子供のころは親に同じ思いを抱かせていたのだろう。ただ、その自覚は薄いように思える。
 昔は日本でも多くの仏教僧が独身を貫いていたため、子育てなどに惑わされることはなかった。その分、生死の苦しみの済度に力を入れることができていたはずだ。しかし、自分一人が苦しみから解放されても、それによってほかの多くの悩めるものを救えないのであれば、大乗仏教としては意味がない。大乗仏教の目標はあくまでも、生きとし生けるものの救いなのだ。多くのお経で繰り返し言われているのは、「生きとし生けるものをわが子のように慈しみなさい」ということだ。つまり、仏教僧にとって、悩める衆生はみんな自分の子供である。親が子を育てるように、仏教僧は周りの人々にも仏の教えを広めて、それを互いに励みあいながら実践してもらいたいと願っているのだ。ましてや、師匠となれば、弟子に自分を超えてほしいと願う気持ちは親心そのものだ。
 今日の日本の僧侶の多くは家族を持っている。師匠と弟子が親子関係にあることもけっして珍しくない。しかし私の実感として、家族を養うことと、仏道の実践は簡単に両立しない。少なくとも今の私は、自分の子供を弟子にするつもりは全くない。なぜなら、親の子に対する愛と、師匠の弟子に対する愛が全く異質だからである。
子に対する愛は生理的な愛である。時には暖かく、時にはうっとうしく感じられる場合もある。「無条件の愛」といえば聞こえはいいのだが、ふたを開けてみれば無私の愛どころか、自己愛の延長線でしかない可能性は高い。抑圧した自己愛を転嫁し、子を溺愛するあまり子にうざがられる親もいるだろう。「血がつながっている」という幻想のためか、自分が実現できなった理想像を子に期待していることも多い。自分がなれなかったものに、どうして子を仕立てようとするのか。
 親が子を「自分のように」育てようとするのは、親としてまだ未熟である証拠だろう。教育とは、親が子を育てることではなく、まず親が親自身を育てることから出発しなければならない。親が自分を育てている姿を見て、子は育つ。子が育たないなら、自分を育てている親の見本がなっていない証拠だ。
 私が弟子たちによく言う言葉がある。

「きゅうりのように育ちなさい!」

安泰寺ではこの時期、成長したきゅうりの苗の上から一本のヒモをたらしている。それをつかんだきゅうりの苗はぐんぐん伸びて、夏には美味しい実をみのらせてくれる。ヒモは釈尊の教え、苗は自分自身のことだ。ところが、私の弟子の中にはトマトのような弟子も少なくない。自ら伸びようとせず、支柱に縛られることを待っている。ハウスの中で雨風から守られ、適切な水やりだけを期待している。家庭で縛られ、学校で縛られ、社会でも縛られて育ってきた日本人に多いタイプだ。師匠も弟子も、同じように仏に向かって育っている仏道において、それでは困る。弟子の育成は家庭菜園と勝手が違う。
いっぽうで、かぼちゃのようにそこらじゅうにつるを伸ばす弟子もいる。「たくましい!」と思える反面、はた迷惑でもある。きゅうりの畝に間違えてかぼちゃの苗を植えてしまうと、夏には大変な騒動になる。あの一本のヒモを無視して、すぐ隣に伸びようとするきゅうりまで殺そうとするからだ。かぼちゃに足りないのは、他者への思いやりなのだ。
師匠は弟子の育成に悩み、親は子の教育に悩んでいる。釈尊も、十人十色の弟子たちの扱いに悩んでいたのではないだろうか。しかし、人の成長で悩む前に、お粗末な自分に説いてみたい。

「おい、無方! お前はどこへ向かって伸びようとしているのか?」

ネルケ無方

安泰寺住職。1968 年のドイツに生まれ、16 才のときに高校のサークルで坐禅と出合う。将来禅僧になることを夢見て、大学で哲学と日本学を専攻、在学中に1年間日本に留学する。安泰寺に上山し、半年間の修行体験を得る。帰国後に大学を修士課程で卒業し、再び安泰寺に入門。八代目の住職、宮浦信雄老師の弟子となる。33才のときに、独立した禅道場を開くために下山。
大阪城公園で「流転会」と称してホームレス雲水生活を開始する。
その6か月後の2002 年2月、師匠の訃報を聞き、テントをたたんで山に戻る。現在は、住職として、雲水と年間100人を超える国内外の参禅者を指導。 大阪で知り合った妻と結婚をし、3人の子供の父親でもある。

ネルケ無方先生