名僧は語る

7.おのれの主

奈良康明(なら こうみょう)曹洞宗

奈良康明
(なら こうみょう)
曹洞宗

奈良 康明(なら こうみょう、1929年- 2017年)曹洞宗僧侶。駒澤大学総長、名誉教授、文学博士(東京大学)。曹洞宗総合研究センター所長。2008年、瑞宝中綬章。2009年、仏教伝道文化賞。

 おのれこそはおのれの主(あるじ)、
 おのれこそはおのれの頼りである。

 だから、なによりもまず
 おのれを抑えなければならない。
─パーリ『法句経(ほっくきょう)』より 
 わたしたちは、しばしば自分を見失います。わかっていながら、自分ではどうしようもなくなるのです。

 その原因、理由はさまざまです。
「あいつに負けた、悔しい」などということはよくあることです。

 「金や地位を失って、これからどう生きていこうか」と絶望することもあるでしょう。希望通りにことが運ばないこともよくあります。病気や失恋も、人生における大きな心の傷となります。

 平成二十年に、東京の秋葉原で通り魔事件が起こりました。犯人の青年は、秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んだあとナイフで凶行におよび、十七名の死傷者を出しました。通り魔事件としては史上最悪の事件のひとつとも言われています。

 その青年は、「思い通りにならないことがあっても誰にも話せない。誰でもいいからかまってほしかった」と述べています。

 やったことはもちろん許されないことですが、この思いは社会に疎外された現代の若者に共通しているのかもしれません。

 しかし、思い通りにならないと思うのは、自分の自我(じが)に振り回されているからです。その自我が「ないものねだり」をし、「限りなくねだる」から、いつも欲求不満に苦しむのです。これは、わたしたちの性(さが)といってもいいでしょう。

 傷ついた心は癒(いや)されなければなりません。そして、空腹になったら自分で食事するしかないように、心が傷ついたら自分自身で癒すしかないのです。

 こればかりは、他人にねだって頼むことはできません。自我や欲望を抑えることが、自分自身を調えることにつながるのです。