禅僧の言葉 Vol.04 正受老人「一日暮らし」

Vol.04 正受老人「一日暮らし」

  最近私は、もっぱらラグビーワールドカップに夢中です。特に「ノーサイド精神」といいますか、試合開始になれば真剣勝負、終了の合図を聞けばお互いを称え合う姿に毎回感動しております。勝者が敗者を称えるのももちろん見事ですが、間違いなく悔しいであろう敗者が、勝者を賞賛できるのは、なかなかできることではないと思うからです。

  今回取り上げさせていただく一言は、道鏡恵端(どうきょうえたん)禅師(1642~1721)の「一日暮らし」という言葉です。道鏡恵端禅師は、正受(しょうじゅ)老人として知られ、江戸時代に活躍された白隠禅師の悟りの師であり、『真田丸』で有名な真田幸村の兄・信之の子と言われています。正受とは「己を空(むな)しくして一心不乱にただ一つのことに集中していく」という「三昧」を漢訳した言葉になります。
  正受老人は世間から隠れて長野県飯山にある正受庵で、一人禅の修行と向き合われていました。そしてそこには、正受老人の高徳を慕ってたくさんの修行僧が訪ねてきたそうです。白隠禅師もその一人でした。そこで厳しい修行の後、悟りをひらかれた白隠禅師ですが、その修行の時に転げ落とされた石段も、いかにも禅家らしい落ち着いた庵の佇まいも現存していますので、ぜひ訪れていただきたいものです。
  「一日暮らし」という言葉は、いわゆる「宵越しの銭は持たぬ」というような「その日暮らし」とはまったく異なります。江戸っ子がその日稼いだお金をその日のうちに使い切るような気前の良さでも、後先を考えずに突っ走ることでもないのです。
  正受老人は、「一日暮らし」という生き方ができれば心身共に健やかになれるというのです。考えてみると一日というのは、千年万年の始まりであり、私たちの人生も一日の積み重ねに他なりません。もし百歳生きることができるとするならば、単純に36万500回の一日を積み上げていくことになるのです。
  ところが私たちはそのことを頭で理解していても、なかなか実践できません。未だ来ぬ明日のことばかり、考えて思い悩み、取り越し苦労をしてしまう。明日があるから明日にやればいいと、来るかどうかも分からない明日を当てにして、ついつい油断してしまうのです。また、どんなにつらいことがあっても、一日のことだと思えば耐えることもできるし、逆に楽しいことがあっても、一日のことだと思えば溺れることもないのです。
  ラグビーに関するこんな新聞記事がかつてありました。二〇一五年のワールドカップの善戦が大きな話題を呼んだラグビー日本代表。そのチームの中心選手だった五郎丸歩選手を支えていた言葉は、「今を変えなければ、未来は変わらない」というものでした。
  その前の大会の時、合宿には参加していたものメンバー入りはかなわなかった五郎丸選手は、ある日のミーティングでジョン・カーワン前ヘッドコーチに「過去は変えられるか?」と問われ、「変えられません」と答えたそうです。続いて「未来は変えられるか?」と聞かれ、今度は「変えられます」と答えます。するとカーワン前ヘッドコーチは次のように言うのです。
  「違う。お前が変えないといけないのは、今だ。今を変えなければ、未来は変えられない」と。
  過去を変えられないことは誰でも知っていますが、未来も変えられないということは、なかなか私たちは考えません。
  過去や未来ではなく、今を見なければならないのは、何もスポーツ選手だけではありません。お釈迦さまも「過ぎ去ったことをいつまでも悩んだり、未だ来ていない未来を心配するなら、人間は枯れ草のようになるだろう」と示されているのです。
  また、そのことを不気味な幽霊も私たちに教えてくれます。長いサラサラのストレートヘアは、「後ろ髪を引かれる」というように、過去への囚われ。前に垂らした両の手は、未来への渇望。肝心要の今この時はと足下を看てみると、地に足がついていない。
  正受老人は、人生の中で一番大切なことは「今日ただいまの自分の心なのだ」とはっきりと言い切られるのです。戻らぬ過去を後悔してクヨクヨしてしまったり、未だ来てもいない明日というものに根拠のない希望を乗せるのではなく、今日ただいま目の前のことを一生懸命務めなければならないのです。そうしなければ、明日という日が有意義になるはずがありません。今日一日をしっかり務め、明日もまたそのような一日がくるようにしなければならないと伝えてくださるのです。
  「今日一日というのは、一生涯の一日ではなく、『自分の全生涯が今日の一日である」と考える。自分の一生涯を今日この一日に詰め込んでいくべきだ」とは松原泰道師の言葉です。このように看る視点を少し変えると、今日一日に対する思いも変えることができると思います。
  今回のラグビーワールドカップの日本代表の活躍も、すべての選手が日々積み上げてこられたことの結晶だと思うのです。私たちも日々の生活の中で、試合終了のブザーを夜寝る前に鳴らして生きていくことができれば、きっと豊かな人生になるはずです。
  国境も国籍も人種も越えた代表選手たちの活き活きとした姿をみていると、私はこの「一日暮らし」という言葉を思い出さずにはいられないのです。

細川晋輔  臨済宗妙心寺派 龍雲寺 住職

1979年生まれ。東京都世田谷区・龍雲寺住職。松原泰道の孫。佛教大学卒業後、京都・妙心寺専門道場にて9年間禅修行。花園大学大学院修了。妙心寺派布教師。東京禅センター副センター長。NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』禅宗指導。朝日カルチャー新宿教室、早稲田大学エクステンションセンター中野校講師。著書『わたしの坐禅』(青幻舎)、『人生に信念はいらない』(新潮社)、『迷いが消える禅のひとこと』(サンマーク出版)ほか。

細川晋輔

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