2023年用「一日一訓カレンダー」(2022年6月刊行)に掲載する写真を公募します。
今年で8回目となるフォトコンテストですが、前回の入選作品は、築地本願寺(東京)、平等院(京都)、瑞巌寺(宮城)の三会場で展示され、多くの方にご覧いただきました。
このカレンダーは日めくりとして仏教にちなんだ31の文言と写真により構成され、全国の寺院、海外を含め、毎年約13万部を頒布し、好評を得ています。仏典のことばや各宗祖のことばを各人が味わい、写真として表現していく中で、自然と仏教に親しみや関心を持っていただければ幸いです。どなたでも応募可能ですので、是非ご参加ください。応募票はこちら
2021年1月 | 公募を開始 |
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2021年8月31日(火) 必着 | 公募締め切り |
2021年9月 | 審査会 |
2021年10月 | 入選報告 |
2021年11月 | 入選作品発表(当協会ホームページにて) |
2022年6月 | 「2023年用カレンダー」を刊行予定 |
どなたでもご参加いただけます。制限はございません。
◆2023年用『一日一訓カレンダー』の各文言にあう写真 ※カラー/単写真のみ/横位置
一人3点
◆表紙採用:テーマ「忍辱~真実を受け入れる」※カラー/単写真のみ/縦位置
一人1点まで
自然風景、動・植物や花等のネイチャーフォト、工芸品などの静物。抽象写真。
※人物は不可
◇一人3点(表紙写真も応募する場合は4点)までご応募いただけます。3つの文言に対し1枚ずつ、1つの文言に対し3枚、どちらでも結構です。文言の解説はこちらより
※他のコンテストなどに応募中や応募予定である作品、または過去に入賞した作品は応募できません。
※応募した写真が別の文言で入選する場合もございますので、予めご了承ください。
◇キャビネサイズ(127mm×178mm/2L判に相当)にプリントしたものを、角7封筒等に入れ、宅配便または簡易書留にて当協会までお送りください。
◇データ(メール、CD-R等)では受け付けていません。必ずプリントしてください。
◇応募票PDFに必要事項を記入の上、作品裏に天地が判るようメンディングテープ等で貼付しご応募ください。
応募作品の返却は致しません。審査後、当協会の「個人情報管理規程」に沿って処分致します。
2021年8月31日(火)必着
〒108-0014 東京都港区芝4-3-14 公益財団法人 仏教伝道協会 フォトコンテスト係
電話03-3455-5851 平日10:00-17:30
※選考経過、審査等に関するお問い合わせにはお答えできません。
当協会審査委員会にて選出。
審査員:石黒健治氏(写真家)・杉全泰氏(写真家)・丸林正則氏(写真家)・金子美智子氏(写真家)・楳村修治氏(写真家)
表紙採用: 賞金10万円×1名
入選: 賞金5万円×31名
※入選報告は電話または郵送にてお知らせします。
コンテストの結果は、当協会のホームページ(2021年11月)に掲載します。
◇入選作品は、原版(デジタルデータ)を提出していただきます。返却は致しませんので、コピーを保存してご提出ください。
◇入選作品の著作権は撮影者に、版権は当協会に帰属します。当協会は入選作品を無償で使用する権利を有します。
◇入選作品は主に以下の目的で使用します。当協会刊行の『一日一訓カレンダー』への掲載。新聞・雑誌広告、ポスターなどの印刷物、またホームページなどのwebコンテンツとしての二次利用など。尚、撮影者の氏名を表示する場合がございます。
個人・法人が所有・管理、あるいは権利を保有する被写体が含まれる場合、その被写体の権利所有者に承諾をいただいてください。他人の著作権、肖像権等を侵害するような行為が行われた場合、それに関するトラブルの責任は一切負いかねます。また、そのような作品の入選が判明した場合は、入選を取り消しさせていただく場合がございます。また応募作品は応募者本人が撮影し、全ての著作権を有しているものに限ります。他人の名前を使用した場合は失格になります。
入選・落選を問わず、取得した個人情報については、カレンダーフォトコンテストの事業運営およびそれに関わる目的にのみ使用し、他の目的には使用致しません。公益財団法人仏教伝道協会の個人情報の取扱いに関する詳細については、当協会ホームページ「個人情報保護に関する基本方針」、「個人情報の利用目的」をご参照頂きますようお願い申し上げます。
侮辱(ぶじょく)や迫害に対して忍び耐えて、心を安らかに落ち着け、瞋恚(しんに※いかり憎むこと)の念をおこさないこと。
(中村元『佛教語大辞典 下巻』東京書籍,1975年,p.1073)
出典『華厳経』
仏に帰命する一念を起こし、菩提(さとり)に向かう心を起こすこと。信心をひとたび起こすこと。信の一念。
(中村元『佛教語大辞典 上巻』東京書籍,1975年,pp.52-53)
出典『スッタニパータ』
立派な人々は説いた─〔i〕最上の善い言葉を語れ。〔ii〕正しい理を語れ、理に反することを語るな。〔iii〕好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。〔iv〕真実を語れ。偽りを語るな。
(中村元『ブッダのことば ワイド版』岩波書店,2010年,p.91)
出典「十七条憲法」
まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。(中略)いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないということがあろうか。三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行ないを何によって正しくすることができようか。
(責任編集 中村元『日本の名著2 聖徳太子』中央公論社,1995年,p.411)
出典『西行桜』
良い機会はなかなかとらえがたく、よい友にはなかなか会えない。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.167)
出典「仏教聖典」
ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現われることを正しく知るのである。
(『和英対照仏教聖典』p.229)
出典『法華経』
眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの機官がけがれを払って清らかになること。人間の身心が種々の功徳に満ちて清浄になることをいう。
(中村元『佛教語大辞典 下巻』東京書籍,1975年, p.1463)
出典「仏教聖典」
ただ、この仏の名を心に保ち、一日または七日にわたって、心を一つにして動揺することがないならば、その人の命が終わるとき、この仏は、多くの聖たちとともに、その人の前に現われる。その人の心はうろたえることなく、ただちにその国に生まれることができる。
(『和英対照仏教聖典』p.225)
出典「ことわざ」
誰からも見向きもされず踏みつけにされたような道端の草花でも、時期が来れば花が開く。逆境にある者でもいつまでもそのままではなく、栄えることがあるというたとえ。
(時田昌瑞『岩波ことわざ辞典』岩波書店,2016年,p.533)
出典「仏教聖典」
過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。
(『和英対照仏教聖典』p.379)
出典『論語』
一つの道理をもって、事のすべて、あるいは生涯のすべてを貫く。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.86)
出典「仏教聖典」
おのれこそはおのれの主、おのれこそはおのれの頼りである。だから、何よりもまずおのれを抑えなければならない。おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである。日は昼に輝き、月は夜照らす。武士は武装をして輝き、道を求める人は、静かに考えて輝く。
(『和英対照仏教聖典』p.377)
出典『スッタニパータ』
好ましいものも、好ましくないものも、共に捨てて、何ものにも執著(しゅうじゃく)せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
(中村元『ブッダのことば』岩波書店,2010年,p.76)
出典『譬喩尽』
いくら多く語っても、しばしの間黙っているものには及ばない。雄弁よりは沈黙のほうが人に多くを語りかけるような場合もある。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.701)
出典「仏教聖典」
弓を学ぶのに、最初に当たることが少なくても、学び続けていればついには当たるようになる。また、流れは流れ流れてついには海に入るように、道を修めてやめることがなければ、必ずさとりは得られる。眼を開けば、どこにでも教えはある。同様に、さとりへの機縁も、どこにでも現われている。
(『和英対照仏教聖典』p.347)
出典『徹心録』
足元を見よ、の意。ただ単に足元に注意せよという意味ではない。外部にばかり気を取られたり理想を求めたりせず、自己の内面を明らかにせよという内省をうながす言葉として、禅宗で用いられる。
(『岩波四字熟語辞典』岩波書店,2002年,p.148)
出典『御伽草子 鉢かづき』
普通の花は色あせていく様子を目で確かめることができるのに、人の心に咲く花はそうとも知らぬうちに移ろってゆくものだ、と人の心の無常を嘆いた一節。
出典「仏教聖典」
すべてのものはただ苦しみであるととらわれれば、これも間違った考えであり、また、すべてのものはただ楽しみだけであるといえば、これも間違った考えである。仏の教えは中 道であって、これらの二つの偏りから離れている。
(『和英対照仏教聖典』p.127)
出典『山家学生式』
「径寸十枚、是れ国宝に非ず 一隅を照らす 此れ則ち国宝なりと」
直径三センチの宝石十個、それが宝ではない。社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。その人こそが、なくてはならない国宝の人である。
(『山家学生式』訳:「一隅を照らす運動HP」)
出典「仏教聖典」
自分の心を安らかに保ち、仏に向かっては慈父の思いをなし、道を修める人に対しては師の思いをなし、すべての人びとに対しては大悲の思いを起こし、平等に教えを説かなければならない。
(『和英対照仏教聖典』pp.395-397)
出典『続中臣水滸伝』
風が吹かなければ木は揺れたり、動いたりしない。物事も原因があって起こるものであるということ。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.258)
出典「仏教聖典」
人びとは善い行為をすれば善を得、道にかなった行為をすれば道を得るということを信じない。ただ、誤った考えだけを持ち、道も知らず、善も知らず、心が暗くて、吉凶禍福が次々に起こってくる道理を知らず、ただ、眼前に起こることだけについて泣き悲しむ。
(『和英対照仏教聖典』p.199)
出典『六祖壇経』
もともと実体のないこと。空(くう)。本来からいえば執着すべきものは何もないはずだということ。
(中村元『佛教語大辞典 下巻』東京書籍,1975年, p.1267)
出典『スッタニパータ』
他人の過失は見やすいけれども、自分の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻(もみがら)のように吹き散らす。しかしこの人も自分の過失は隠してしまう。─狡猾(こうかつ)な賭博(とばく)師が不利な骰子(さいころ)の目をかくしてしまうように。
(中村元『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波書店,1978年,p.245)
出典「仏教聖典」
せまい心を捨てて、広く他に施すことは、まことによいことである。それとともに、志を守り、道を敬うことは、さらによいことである。
(『和英対照仏教聖典』p.261)
出典「ことわざ」
活発に活動しているものはいつまでも古くならないというたとえ。安定した位置に甘んじていると、いつのまにか古めかしく時代遅れになるということ。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.791)
出典『山家学生式』
「自分を忘れて〔忘己〕他者の幸せのために尽力する〔利他〕こそが、慈悲の究極の姿である」という意味。
(『山家学生式』)
出典「仏教聖典」
静かなところにあって心を修め、すべては因縁によって起こる道理を考えてこれを心のすわりとし、他人を侮らず、軽んぜず、他人の過ちを説かないようにしなければならない。
(『和英対照仏教聖典』p.395)
出典『礼記 中庸』
自分の誤りを素直に認めるには勇気が必要だ。恥辱(ちじょく)を知り名誉を重んじる者は勇者と言ってよい。
(『故事俗信ことわざ大辞典』小学館,1989年,p.917)
出典「仏教聖典」
四つの聖い真理が明らかになったとき、人は初めて、欲から遠ざかり、世間と争わず、殺さず、盗まず、よこしまな愛欲を犯さず、欺かず、そしらず、へつらわず、ねたまず、瞋らず、人生の無常を忘れず、道にはずれることがない。
(『和英対照仏教聖典』p.79)
出典『スッタニパータ』
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
(中村元『ブッダのことば ワイド版』岩波書店,2010年,p.37)
出典『正法眼蔵』
「心」とは山や河や大地であり、太陽や月や星である。山や河や大地を、言葉に捉われず、山や河や大地とありのままに受け取る。万物を万物のままに知ることが「心」である。ありのままをありのままに受け取るからこそ、万物は「心」なのである。
(佐藤隆定 ブログ「禅の視点」参照)